スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

後藤明生 壁の中



まだ日本の小説が骨太だった昭和時代。変わった小説というと名前が挙げられがちだったものがいくつかある。これもそのひとつ。長年絶版続きで古書が高騰していた。めでたく復刊。こういう歴史に名を刻む小説は、絶やしてはならぬ。
後藤明生は内向の世代に含まれる。しかしながら内向の世代として括られる中には、古井由吉や日野敬三、小川国夫や黒井千次、さらには坂上弘や高井有一などが含まれる。特色や傾向など、あまりない。世代で切り分けられた「第三の新人」みたいなものである。その中で後藤明生は内向の世代という括りなど軽やかに無視して、日本の小説史全体において独自の位置にいた。

帯の文句が「ポストモダン小説の怪作が甦る」「読みたくても読めなかった小説NO.1!?」といったように自らハードルを上げてるのではないかと思ってしまうくらいの煽りっぷりで、それはまあその通りかもしれないし、そこまでのものでもないかもしれない。読めなかったことは確かではあるが。私は学生時代に図書館で読んだっきりで、頭の片隅にも残っていなかった。でもこれは自分の書棚に加えるべき一冊だと判断したので、購入し、とんでもなく久しぶりに読んだ。



「壁の中」は、後藤明生が好きだったゴーゴリや、そしてドストエフスキーに読み慣れた人だと、とても楽しめるはず。永井荷風や正宗白鳥やドイツ文学やギリシャ神話や聖書も出てくる。そしてそれらよりも後藤明生を好きだったら、もっと楽しめるだろう。残念ながら私はロシアといえばベールイとナボーコフな人間で、特にドストエフスキーに関してはナボーコフのドストエフスキー評をそのまま受け入れてしまって洗脳されちゃってるので、何ら心に響かない不感症となってしまっている。それでもこの小説は楽しい。楽しい小説とは何か。人それぞれ異なる。読みやすくて面白い小説をお探しなら、不向き。

かつて純文学と呼ばれていたジャンルにおいて「楽しい」小説があることを知っている人なら、間違いなく楽しめる。同じことを手を変え品を変え綴っているようにすら思える場面の切り替わりとそれでいながら饒舌を通り越して冗長ですらあるこの長編の楽しさは、読み応えのある小説を読んできた人でしか獲得できないような気がしないでもない。後藤明生は、恥を描き出すのが上手い。村上龍のようなシンプルな描き方ではないだけに、なかなかに重くのしかかる。そしてそれが話の筋の中での瞬間的な出来事ではなく、本書のテーマのようですらある。



昭和時代の変わった小説で、しかも長い。というと、私がこよなく愛している小島信夫の「別れる理由」も代表格だ。名前は挙がるが読んだことのある人は少ない。「壁の中」よりも、さらに少ない。「壁の中」は雑誌連載で7年。「別れる理由」は、雑誌連載が実に13年である。分量は倍以上。「壁の中」が1700枚で「別れる理由」は四千枚とも四千五百枚とも言われている。そして内容は、これまた虚実入り乱れていて、小説なのかエッセイなのか日記なのかの境界が存在せず、かといってうまく書けない人の手による小説の出来損ないなわけもなく、凄まじい。作中の主人公が、作者に電話をかけてきたりする。もうほんとうにこれがめくるめく読書の快感である。以前匿名でやっていたブログで長々と取り上げたのだけれど、テキストが残っていない。坪内祐三「「別れる理由」が気になって」のレビューという体裁をとった「別れる理由」の紹介と分析だった。もうあんなの書く元気など、ない。「別れる理由」は、余りにも長い。小島信夫の1980年代は殆どこれだったくらい長い。なので、まずは「壁の中」を読破できたなら「別れる理由」を手にしてほしい。両方読んだ私にとって「別れる理由」に比べれば小説世界も判りやすいし筋もあるし短いので、おすすめです。

解説は、これまた信頼できる小説家の多和田葉子。こういうのは、とても嬉しい。


以上是千六百字丁度也


9年半前のブログ記事からの写真。これが私にとって大切な小説たち。ひとり一作。その頃と現在とでは若干入れ替えがなくもないが、小島信夫は今でももちろん「別れる理由」だ。ご覧の通り、圧倒的な体積。文字は二段組。「壁の中」が加わるか否かは、まだ判らない。


つかだま書房:公式サイト
Amazon.co.jp:壁の中【新装普及版】
関連記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。