竹の棗を作る。
ひとつ、縁が割れて欠けたものができてしまいました。
もったいないので木地師からもらいました。
上半分を亀甲師にカットしてもらう。表面処理もしてもらう。
(自分でやればいいじゃんという声もあるが、私は意地でも職人にやってもらう)
下地師に下地を施してもらう。
下塗師に下塗りをしてもらう。
研ぎ師に研いでもらう。
上塗師に外側を木地呂、内側を黒に塗ってもらう。
ぐいのみと言えばぐいのみ、小鉢といえば小鉢のできあがりです。
口にあたる部分が分厚い、日本では考えられないかたち。
上の画像、左のものです。
ちなみに中央は溜塗りのぐいのみ、右はケヤキで木地呂のぐいのみ。
(補強のため布を貼っているので縁と高台は黒)
私は既に、漆のぐいのみを持っている。
柊家旅館の新館建築で使われた柱の端材で作ったものだ。
(いちばん出来の良いものは建築家経由でご主人の手に渡った)

私の手元に残ったもの(建築家から制作費をいただいた)は、
挽いているときに縁が欠けたものだ。
ずっと使えることを売りにしている私自身が、
コレクションのようにいくつも所有するというのは間違っている。
手持ち無沙汰な感じで、竹の棗になれなかった「それ」は、
使われることもなく私の部屋で居心地悪そうにたたずんでいた。
先日、ぐいのみを探していらっしゃるかたから問い合わせをいただいた。
その方が注文しようとしたぐいのみは、在庫がなかった。
作る予定もないかった。
似た感じのものをご紹介した。
これらならすぐにお送りできますよと。
それが画像の3つだ。
竹の棗になるはずだったものの説明もした。
棗を挽くときに割れたものをカットした、
ぐいのみとしては縁が厚い、
商品化するとなると結構な価格になる、
これは竹を無駄にしたくないから作っただけだと。
その方は、ケヤキのぐいのみを注文し、
意図を理解し、竹のぐいのみもついでに注文された。
木を挽くというのは、多くのリスクを抱えている。
虫食い穴がどのように通っているかは伐ってみないと分からない。
(虫も食わない木は使いたくない)
縁を薄くしようとすると、木目との兼ね合いで欠けることもある。
鉋が強く当たりすぎて円く溝がついてしまうこともある。
そういったものは、通常は破棄して、火種として利用される。
それが私の作る漆器のクオリティと思われるのも困るから。
でも私は一方で考える。
虫食い穴くらい下地で埋めればいいじゃないかと。
仕上げが拭漆で黒い痕が残っていてもいいじゃないかと。
縁が欠けたら、カットしちゃえばいいと。
耐久性や実用性は変わらないのだから。
そういうものが、ときどきできる。
下地で埋めたものは、木の収縮によって隙間ができる確率が上がる。
そのことも説明し、納得してお買い上げいただいている。
こうしたものでは利益をいただいていない。
商品としては不完全なものだからだ。
全商品、つねに在庫をいくつか揃えておく、というのは商いの基本。
(常に品薄にする戦略もあるが、それは価値以上の価格をつけたものが多い)
はっきり言って、私にそんな体力などありません。
たまにホテルや飲食店からの注文をいただくときは、100個単位です。
それだけ全種類用意しておくというのは不可能。
不可能と言い切るのも何か失格な感じがするのですが……。
何かを探している方、たとえばお椀。
ショップやネットで探すと思います。
いろいろ迷った結果、ひとつを選びます。
そして注文。しかし在庫がない。納期は半年。
さて、お客は半年待ってくれるでしょうか。
ほとんどの方が、待ちません。
私とて、ふだんの買い物では待たないことのほうが多い。
納得いくものがなかったら買わないという選択肢はあるにせよ。
毎日の機会損失を累積すると、かなり大きいはずだ。
それを解っていても、やっぱりできない。勝手なんです。
ある程度の予測をして作る数量を決めることはあります。
しかし私は、毎年毎年新商品を出してたくさん作り、
反応が鈍くても何とかゴリ押ししてでも卸に買っていただき、
卸か小売かは案の定持てあましちゃってセールする、
ということだけはどうしても避けたいのです。
自分以外の誰も幸せにはなりません。
割れた竹をぐいのみもどきにする。
商品化するよりも安価。
お客も私も、そして竹にとっても幸せです。
(職人は、いつも通りの仕事をしているだけです)
まあ、お客が幸せかどうかは、勝手な想像なわけですが。
サービス業においては、誰もが幸せになることは容易だ。
しかし製造業においては、困難だ。
それが何故なのか、まだ私には判らない。
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