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2008年04月11日 - 漆のあいうえお

■連綿

旧いものを打ち破ろうとしてきた行為の連続が伝統の一側面です。
でも、珍奇なものが結果的に廃れるのは必然です。


何年も使うことが前提である器は、毎年新商品を出して買い替えしてくれないと会社が潰れる家電業界ではありません。しかし、同じかたちを作れば良いというわけでもなく、環境は様変わりしています。座卓で食事を摂る世帯は確実に減っている、では器の高さをどうするか。高台は。日本人女性の平均身長は高くなる一方、男性の平均身長は私の世代が171センチを超えてピーク、でもまた低くなりつつある(人間の身長が30センチくらいだったらどうなっていただろうとか、ときどきしばしば私はくだらない想像をする)。といったことをいくつも考慮しなければなりません。

器単体で「すてき」なものくらい簡単に作れます。「で、買ってどうするの? 飾っておくの?」なんてのは器でなくて鑑賞品であり、作家ものになったら買う人は心のどこかで作家が死ぬことを待ち望んでいます(とある山中の作家の健康状態を私に尋ねてきた人もいるのでそうなのでしょう)。下手すりゃ株券のようなものです。

また、かたちは残っていても過去の「それ」を作った人の精神運動は知る由もありません。そして、知ることができないことは残念なことではなく、だからこそ、同じようなものなのに何かが決定的に違うものが生まれるわけです。過去の物に近づけるために努力することは間違ってはいません。でも、それだけでは駄目なのです。


たとえば、骨董品を購入した信玄弁当。

ごはんを入れる椀、深めの皿がふたつ、汁椀がひとつ、そして盃。
それだけがひとつに収まり、汁もの以外は盛りつけたまま携帯できる。
袋に入れ、出すときに引っかかりがないように角をとったかたち。

これと同じものを私が作ったところで、それが一体何だろう。

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Tsuyoshi Kotaniguchi
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