Ads by Google
--年--月--日 - スポンサー広告
新しい記事を書く事で広告が消せます。
T.E.カーハート「パリ左岸のピアノ工房」
2008年03月13日 - Literature
しっとりとしたノンフィクション。職人気質も海の向こうではこのような描かれかたをするのかと、まなざしと文体が心に響いた。そして、読了する前から、いますぐアンティークピアノを所有したいという誘惑に駆られた。実物を持たないと読み進める資格がないのではという気持ちが、ほんの少しだけわいてきたからだ。どんなピアノ本や音楽本よりもピアノを始めたくなる一冊だと、ピアノを弾けない私だからこそ断言します。
ピアノの再生は、間違いなく技術とノウハウと「センス」を要する。
機械的にリペアするのは、確かにリペアなのかもしれない。
しかし、重要な何かが決定的に失われる。
自転車のシフトやクランクといったコンポーネントといえば、
日本のシマノとイタリアのカンパニョーロが双璧。
そのふたつは設計思想が明確に違う。
触れて心地よいのは、やはりカンパニョーロだ。
30年前のカンパニョーロは今でもファンがいる。
歴代チェーンリングのコンプリートをめざしている人もいる。
でも30年前のシマノが大好きという人には出会ったことがない。
カンパニョーロは、スペックではなく快楽原則に忠実なのだ。
それが設計でありデザインであり、軸があり本筋があるということだ。
誤解されやすいが、感覚で作っているわけではない。
快楽原則に忠実であるには、より高次の理論とノウハウと技術がなければ不可能だ。
日本でピアノ。アメリカ西海岸で漆器と同じくらい変なことなのかもしれない。
著者が見つけたピアノ工房のような場所が、日本にはあるのだろうか。
そこでは、一見さんには決して見ることのできない店頭の奥に工房があり、
天才的な仕事によって無名のピアノが絶品と生まれ変わり、
ひとりひとりに合ったピアノを(入荷できたなら)教えてくれ、
日本の気候に合わせた再生を施してくれるだろう。
話は逸れるが、フランス人は議論が大好きだ。
まるで議論が栄養であるかのごとく。
私が出会った数少ないフランス人たちとは、ゲンズブールとセリーヌの話をした。
たとえば
「ゲンズブールが入院するとき鞄に煙草しか入れなかったのはなぜか」
これだけで90分×4回。
この書籍には、そんなシーンも登場する。
私は議論が大好きで、議論の火種をぽつんと輪の真ん中に落とす。
で、それがどのような延焼を起こしていくかを一歩引いて楽しむ。
しかし日本では議論の内容がフォーカスされて本質に向かうことは滅多にない。
話のスケールがだんだん大きくなり、手に負えなくなり、凡庸なものになっていく。
そして結論はもはや思考停止状態である。
「音楽ってやっぱりいいよね」とか「人生いろいろだよ」とか。
何が文化の違いって、こういうのが文化の違いである。
ヴァレンタインとヴァンアレン帯くらい違う。
閉話休題。
文章も、ノンフィクションにありがちな、必要以上に警鐘を鳴らすものでもなく、
「ほっこり」でも「うっとり」でもなく、美辞麗句を並べ立てるのでもなく、
何かに分類するのでもなく、スピード感あふれるものでもない。
でもよく考えれば、これがnon fictionなのかもしれない。
ネットで読める書評というより紹介文はこちら。
著者が出会ったStinglは、今はもうなくなったオーストリアのピアノメーカー。
検索してみたら、八王子のピアノ工房にあったことが分かった。
聴いてみたかった。

というすてきな本は、picoさんからいただいた。
いただいてから随分経ったけれど、ありがとうございます。
ピアノの再生は、間違いなく技術とノウハウと「センス」を要する。
機械的にリペアするのは、確かにリペアなのかもしれない。
しかし、重要な何かが決定的に失われる。
自転車のシフトやクランクといったコンポーネントといえば、
日本のシマノとイタリアのカンパニョーロが双璧。
そのふたつは設計思想が明確に違う。
触れて心地よいのは、やはりカンパニョーロだ。
30年前のカンパニョーロは今でもファンがいる。
歴代チェーンリングのコンプリートをめざしている人もいる。
でも30年前のシマノが大好きという人には出会ったことがない。
カンパニョーロは、スペックではなく快楽原則に忠実なのだ。
それが設計でありデザインであり、軸があり本筋があるということだ。
誤解されやすいが、感覚で作っているわけではない。
快楽原則に忠実であるには、より高次の理論とノウハウと技術がなければ不可能だ。
日本でピアノ。アメリカ西海岸で漆器と同じくらい変なことなのかもしれない。
著者が見つけたピアノ工房のような場所が、日本にはあるのだろうか。
そこでは、一見さんには決して見ることのできない店頭の奥に工房があり、
天才的な仕事によって無名のピアノが絶品と生まれ変わり、
ひとりひとりに合ったピアノを(入荷できたなら)教えてくれ、
日本の気候に合わせた再生を施してくれるだろう。
話は逸れるが、フランス人は議論が大好きだ。
まるで議論が栄養であるかのごとく。
私が出会った数少ないフランス人たちとは、ゲンズブールとセリーヌの話をした。
たとえば
「ゲンズブールが入院するとき鞄に煙草しか入れなかったのはなぜか」
これだけで90分×4回。
この書籍には、そんなシーンも登場する。
私は議論が大好きで、議論の火種をぽつんと輪の真ん中に落とす。
で、それがどのような延焼を起こしていくかを一歩引いて楽しむ。
しかし日本では議論の内容がフォーカスされて本質に向かうことは滅多にない。
話のスケールがだんだん大きくなり、手に負えなくなり、凡庸なものになっていく。
そして結論はもはや思考停止状態である。
「音楽ってやっぱりいいよね」とか「人生いろいろだよ」とか。
何が文化の違いって、こういうのが文化の違いである。
ヴァレンタインとヴァンアレン帯くらい違う。
閉話休題。
文章も、ノンフィクションにありがちな、必要以上に警鐘を鳴らすものでもなく、
「ほっこり」でも「うっとり」でもなく、美辞麗句を並べ立てるのでもなく、
何かに分類するのでもなく、スピード感あふれるものでもない。
でもよく考えれば、これがnon fictionなのかもしれない。
ネットで読める書評というより紹介文はこちら。
著者が出会ったStinglは、今はもうなくなったオーストリアのピアノメーカー。
検索してみたら、八王子のピアノ工房にあったことが分かった。
聴いてみたかった。

というすてきな本は、picoさんからいただいた。
いただいてから随分経ったけれど、ありがとうございます。
TRACKBACK
コメント
コメントの投稿
前の記事:ね
次の記事:ぬ
うるしのうつわ うたかたの日々の泡HOME

