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伝統工芸という言葉の響き

2007年04月15日 - 漆器雑感



tradition is nowhere;
tradition is now here.

という言葉には文字通りの意味を込めています。
私は、伝統という言葉に愛憎半ばの感情を抱いています。
日常生活と乖離した印象があること。
これが愛憎の憎で最も大きなものです。
「伝統」という言葉が醸すイメージ、それは
古くさいという一言につきます。

「日本の伝統色」という書籍がいくつか出ています。
使われなくなった日本古来の色を集めただけで本になるわけです。

伝統という言葉に込めた狙いに持っていくなら、
オーセンティックやスタンダードといったイメージのほうが良いのではと思います。

バカラやリーデル、ウエッジウッドには、
「伝統」というイメージがありません。

作り手や業界が「伝統工芸」と声高に発信すればするほど、
狭くて古い、ふだんの暮らしとは無関係な世界にしてしまっている気がします。
そのような足枷のないほうが、普及するはずなのです。

ちなみに、伝統的工芸品のマークは、事業者が勝手に使うことはできません。
でも、漆器屋のサイトで使っているところがあります。
それを載せることによって箔をつけているわけです。

私が作っているのは、漆でできた食器、すなわち漆器です。
それ以上でもそれ以下でもありません。

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コメント

nana様
ご理解いただけなかったようですね、どこかで座談会でも催しませんか? あ、それだとまた能書きばかりになっちゃいますね。

問い合わせがあれば、できる限り説明します。電話でも、メールでも。書かれたらまずいことでもあるのか、脅迫めいたメールもしょっちゅういただきます。私は返信します。前回書いたように「人の役に立つ」とか「社会的意味のある」といった言葉は、範囲が広すぎます。しかも、その中には対立したものも含まれます。意図が解りかねたので思ったことを書いたのですが、逆効果だったようですね。nana様が提示していただけたなら私も長々と書かず楽だったのですが。しかし長文が神経症とは卓見です。となると……短文は無神経なのかな。

nana様と私が相容れないのはよく解りました。そもそも「ものづくりの背景を決定的に表現できた製品を提示すること」というのが、私の目指すところではありません。そのような過程でできあがった製品は、私の目には醜悪に映ります。

差し出がましいかもしれませんが、私を貶めたり妨害することが目的であれば、あまり上手な方法ではないと思いますよ。私にも気づかれないくらい目立たないようにするほうが、目的達成の確率も上がります。単に私の気分を害したいとしても、物足りないのは否めません。もっと効果的なメールを普段いただいております。子どもっぽい言い方をすると、国家レベルからです。

リンクはご自由にどうぞ。
はじめましてのページにも明記しております。
  • 2007-04-17 |
  • ■kota■
  • URL
  • edit ]

長文を書く人は神経症の傾向があると、どこかのブログに書いていました.
能書きではなく、ものづくりの背景を決定的に表現できた製品を提示することが出来ないかぎり、自己参照で他者を批判することしかできないのでしょうね.反面教師としてリンクさせていただきます.どうもありがとうございました.
  • 2007-04-17 |
  • nana
  • URL
  • edit ]

nana様

お待たせしており申し訳ございません。

現在では、まっとうな素材を使って正統な作り方をするというあたりまえのことを確保することが困難になっています。言い訳に聞こえるかもしれませんが、そこから始めなければならないわけです。これまでにもこのブログに書いてきたのですが、古くからの漆器の作り方は、人体に害のある素材を「伝統的に」使ってきました。私はそうではなく、体に害のないものを使い、長もちするものを作っています。法律で禁じられているわけでもないので、今でも害のある顔料を使った漆器が市場にあふれています。

そのような状況の中で、私の作る「伝統的ではないけれど、体に害のない漆器」が社会的に意味を成すか否かは、私には解りません。私は、主流の作り方をするつもりはありません。私のやり方が主流になることはありません。生産性や効率性やコスト意識といった製造業で大切なことを重視している大企業が産地を支配し、産地に組合が存在し、組合が集まって「伝統的工芸品」というカテゴリが形成されているからです。

でも、実質的に人に役に立っているとは思っています。そうでなければ売り上げゼロです。ここで間違ってはいけないのは、現在は高度成長期ではありません。すべての人に役に立つということは不可能に近いと思います。こういう人にはこういうものを、と考えて作る必要があります。そうなると、ある人には役立つけれど、ある人には何の役にも立たないという事態が発生します。

たとえば、私が作った器の中に、硯皿というものがあります。これは、おかずのタレや汁が付け合わせと混ざらないようにできないかと考えて作りました。同じように考えていた方からは「こういうのを待ってたよ」とおっしゃっていただいています。中には毎日使っていただいている方もいらっしゃって、その人にとっては、他のどの食器よりも役に立っていると言えるでしょう。そして、体に害がなく、一生使えます。でも、おかずと付け合わせが同じ味になろうが気にしないという方(こっちのほうが多いと思います)にとっては、無駄にデザインされている、無駄に高価な皿にすぎません。大手企業が作らないのは、大量生産では採算がとれないからです。それだけ、こうした器を求めている人が少ないのです。でも私は、そういう人の生活を、ほんの少しでも気持ち良くしたいと思っています。だから作りました。

人の役に立つというのは、強権的な言葉で発動することもあります。社会的に意味のあるものとなると、さらにモノ自体を離れたイメージや理念といったものが一人歩きしていきます。私は、そのこと自体で大きなうねりを生み出すのではなく、もっとデリケートな作業の積み重ねの結果として役立つものだと考えています。これは、デザインが目的ではなく結果であるという考え方と非常に似ています。

また、大量生産して安価に提供するほうが、役に立っているという考え方もできます。その考え方からすると、私のものづくりは役に立っていません。プラスチックにウレタン塗装した小売価格100円の「漆器」のほうが役に立ち、何らかの社会的意味を持つかもしれません。そうしたものに価値を置き、選び、購入し、使う人たちにとっては、おそらく私は一生役に立たず意味のない存在でしょう。

さらに、現在日本で年間200億本(膳)の割箸が消費されている→森林資源がもったいない、という流れもあります。漆器においても(主に国内価格が高いため)中国産が大多数となって、現在では中国でも採算が合わないという理由で日本企業による漆器生産は東南アジアへと拡大しています。採算が合わないということは需給バランスの変化によって価格が上昇したということです。人件費の上昇もあるでしょうが、中国の森林資源が減ってきたということです。割り箸とは比較にならない規模ですが、食い荒らしていることに違いはありません。木のなくなった禿げ山を緑色のペンキに塗ったという中国のニュースをご存知でしょうか。森林資源を大切にという観点からすれば、漆器など存在しないほうが結果的に人の役に立ち社会的に意味のある行為となります。

私は、漆器に使う木がその大きさに育った年月は最低でも使えるものづくりをしています。それが社会的意味であり、人の役に立つということだと言えるかもしれません。よくわかりません。上記のように如何様にもとることのできる「人に役立つ」とか「社会的意味」という曖昧な捉え方はしていないのです。裏を返してnana様の言葉を借りるなら、より実質的なことを頭に置いているのです。

私にとっては、私が何か新しいものを生み出すことではなく、現状の真実を広く知ってもらうことのほうが社会的意味を成すことだと考えています。でもそれは、ほとんどの同業者の批判になってしまいます。

nana様がどのような文脈で人に役立ち社会的に意味を持つとおっしゃったのか解りかねますが、私はだいたいこのように考えています。

長々と書きましたが、この記事は私の宣言ではなく、単に私が伝統工芸という言葉に覚える違和感を綴ったものに過ぎません。もし仮に宣言とするならば、私は既に2003年1月1日の時点で宣言していることになります。
  • 2007-04-16 |
  • ■kota■
  • URL
  • edit ]

宣言はもういいので、実質的に人に役立ち社会的に意味のある決定的な作品を早くみせてください.待ちわびています.
  • 2007-04-16 |
  • nana
  • URL
  • edit ]

lilla様
漆器の産地にいると、ウレタンや輸入物といった正統でないものを扱っているところほど、伝統工芸という言葉に固執しているように見えます。ブレイクスルーしなければならないのに、旧態依然です。

観光土産色がついたのは、民芸と工芸の境界が曖昧になってしまったこともあると思います。
  • 2007-04-16 |
  • ■kota■
  • URL
  • edit ]

確かに

なんか「伝統」の響きには「伝統を受け継ぐ側」の人間の自己満足や因習をも肯定する頑迷さがセットになってる感じがあるかも…。あとなんだか「観光土産」色が強くなったり。
  • 2007-04-15 |
  • lilla
  • URL
  • edit ]
      

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Tsuyoshi Kotaniguchi
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