応量器についてご説明します。私がつくる応量器は、永平寺へお納めしています。
■応量器とは
応量器とは、曹洞宗の僧が使う、食べ物を摂るときの器の名前です。入れ子になった器を指すことが多く「禅宗の雲水が使う食器」といった説明をよく見かけますが、曹洞宗で応量器と呼ばれているのであり、臨済宗では持鉢、黄檗宗では自鉢(読みはともに「じはつ」)と呼ばれ、アイテム数も異なることがあります。ちなみに梵語ではパートラです。「曹洞宗の修行僧が使う応量器」というフレーズも、それと同じものを実際に僧が使っていないことが多いようです。正式には入れ子になったお椀だけではなく、他にいろいろと付きます。ここでは便宜的に、入れ子のお椀を応量器とします。
■応量器の歴史
かつて応量器は鉄で作られていました。しかし鉄器は材料の入手も製造も大変です。そこで、黒塗り(茶色い透明の樹液である漆に酸化鉄を加えて黒色にする)なら鉄と同じ扱いということで漆器が許されました。漆器は木と樹液で作ることができるので急速に広まり、今では漆器がほとんどになりました。現在でも応量器のことを「鉄鉢」(てっぱつ)と呼ぶことがあるのは、その名残りですね。応量器の名前の由来は、食べるものの量に応じた器、という意味と聞いています。曹洞宗では器で、臨済宗と黄檗宗では鉢なのはなぜなのかは、私も勉強不足です。
■応量器のかたち
形状には厳格な決まりがあります。それらを守っていないものは「応量器」と名乗っているだけの、単なる入れ子のお椀に過ぎません。一般的に流通しているのはそのようなものが多く、少し残念に思います。お寺に納めている、ほんとうの意味で応量器と名乗ることができるものは、あまりインターネットでは見かけません。
現在よく見られる応量器は、5つのアイテムが入れ子状に収まります。食事の際は、必要に応じた数を使います。朝食には3つ。おかゆ、汁もの、漬けもの(お新香)です。夕食では5つ使うようです。
形状について最も特徴的なのは、いちばん外側の器がふくらんでいることでしょう。これがなければ容量を減らすことなくもう少し小さくできますし、実際そういう形の「応量器」と名づけられた「商品」も見かけます。このいちばん外側の器は頭鉢(づはつ)と言われ、お釈迦様の頭と同じ扱いです。厳密にいうと頭鉢は「食器」ではないのです。そのため、直接口をつけることはご法度。受けるのはシャリ。口をつけて食べやすいように薄くなっているものは、応量器ではありません。
正式な応量器の使い方は、いちばん内側に収まる、いちばん小さなお皿を、いちばん大きな頭鉢の下に敷いて使います。お釈迦様の頭を同じ高さに置くわけにはいかないのです。そのふたつがくっついた、なんだか下のほうが伸びた形の応量器を目にしたことがあるかもしれません。あれは、簡略化してあるわけですね。
■匙、箸、篦
いただくときのカトラリーもあります。うちでは禅僧三点揃という名前。匙、箸、篦です。匙は、直接口をつけてはいけない頭鉢でおかゆをいただくときに使います。箸は、ふつうに箸。断面は楕円です。篦は、僧が食事を摂ったあと、布を巻いて応量器を水で洗います。箸だけほしいという方もいらっしゃいます。上記のようなことを押しつけるつもりもないので、単品でお譲りしています。
■作法
応量器を使った食事のいただき方には厳密な作法があります。いただく前に五観の偈(ごかんのげ)を唱えます。匙と箸の置き方も、いわゆる日本料理の作法とは異なります。箸は持つほうを奥にして斜めに器の上に置きます。匙は、持つほうを12時、ボウル側を6時の向きに、おかゆを盛った頭鉢へ挿します。いただくときには、匙を奥から手前に挿した頭鉢を、両手で持ち掲げます。フレミングの右手の法則のような指のかたちです。下の画像のような感じです。あくまでも「感じ」です。そして、片手で匙を持ち上げて縦向きにいただきます。おかゆがスムースに口へ入ります。ランチョンマットのような用途として鉢単(はったん)が使われています。和紙に漆を何度も染み込ませたもので、使わないときは折り畳んで収納します。総本山から鉢単をあずかり現在延々と試作中、満足いく鉢単がもうすぐできます。全国を探し回ってようやく折り畳みに耐える和紙を入手(というか特別に注文します)できました。修行僧の持ち物は、持ち運びできるものばかり。本来の応量器に出っ張りがなく、内側に収まるにつれ高さが低くなるのも、そのためだと思われます。
■応量器の色
色は、黒と洗朱です。僧が使うのは、黒です。頭鉢を持って托鉢に出たりしています。4色分解だとM85+Y85の洗朱は、修業を終えた位の高い僧が持つことができると言われていたり、儀式で用いると言われていたりします。神社や鳥居の色にあるように古くから日本では宗教の世界において位の高い色でした。赤い漆としては他に朱がありますが、それはいわゆる赤です。赤は、古くは庶民が使う色でした。ですので、赤い応量器というのは、少々頭がややこしくなります。丸っこいかたちで、モダンなインテリアにもミニマムなインテリアにも合いますし、ミッドセンチュリーのオレンジとも合います。外国人の購入も増えています。白いテーブルや無垢のテーブルにオレンジの食器、その相性の良さを発見したのは外国人です。
■品質
毎日毎食、僧は応量器で食事を摂ります。そして、水(やかんで注いだり、川だったり)で洗います。そういった使い方に耐えることのできる品質を備えていないと、すぐに漆が剥げ、使いものにならなくなってしまいます。木の乾燥(木の板が反っている床を見たことがあると思います。ああなってしまっては器としては使い物になりませんね)に時間と手間をかけ、ほんものの素材だけから吟味し、手慣れた職人によって仕上げられたものが、いちばん長もちします。洗剤で洗っても問題がないですし、熱いものを注いでも割れることはありません。
■私が作る応量器について
仏具店や法衣店から、禅僧が使うものとして注文をいただき、作りはじめました。お寺からあずかった応量器を眺め、手にとり、検討しました。そして、頭鉢の底の形状を変えること、精度を上げることが必要であること、下地をしっかりと施す必要があることなどが導き出されました。
頭鉢の形状については、いちばん小さい皿を敷き、その上に頭鉢を乗せるため、お寺からあずかった応量器は底が丸いものでした。下の画像のものです。固いテーブルの上などでは安定しません。ここをどうするかが、お寺さん、法衣店、うちの三者で何度も検討がなされました。
結論として、底を少しだけ平らにしました。厳密には平らではなく、ほんのわずかにへこんでいます。いちばん小さい皿を下に敷くと、平らになっている部分は見えません。現在うちが納める応量器は、この形状で曹洞宗のお寺で使われています。そして、このかたちになったため、一般のご家庭でも使えるようになったのです。
※ただし、現在ではお寺へお納めするものは底を丸くしています。
一般用は平らなままです。どちらかお選びいただくようにしています。
精度については、木地のろくろ挽きの精度もありますが、その前の乾燥も大切です。できあがったばかりのものは差がなくても、数か月で違いが出てきます。最適な乾燥をしていないと、木は変形します。乾燥は、あまり目を配らずに放っておくとぐだぐだな木地になり、急激に乾燥しすぎても割れます。山中でも珍しいのですが、私は必ず薫煙乾燥です。さらに、山中漆器が最も得意とするろくろ挽きと、ろくろ挽きの木地に施すことを得意とする下地によって、寸分の狂いもない、均等に間隔の開いた入れ子ができあがります。塗りは、塗りというだけあって、表面に施すものです。木地や下地が駄目だと、どう塗っても美しくなりません。
下の画像は、お寺からあずかった応量器(左)と、私の手がける応量器(右)です。
左の応量器の放つ雰囲気は、それはそれはすばらしいものです。ひび割れもありますし、縁は漆が剥げてきています。それでも、これはなかなかできるものではありません。毎日毎日大切に使われたものだけが放つオーラをまとっています。オーラは作る時点で「作る」ことはできませんが、長年使ううちにオーラを放つものであるためには、ただ作るだけでは無理です。
製作に関しては、左のように作ることもできます。そのほうが楽です。でも、その通りに作ればいいとは考えません。言われなくても、もっと良くなる可能性があるなら、します。内側にいくに連れてへこんでいるように見えるデザイン。そのために、器の高さはもちろんのこと、内側の深さまでも計算しています。さらに、入れ子のお椀の場合は特に、下地や塗りの厚みも計算に入れておかなければなりません。6つが入れ子の応量器、1ミリ違ったら、5ミリ違うことになります。このたたずまいは、計算を正確に実現する職人の技術によって成立しているのです。その結果、この応量器は、応量器というものが古くからあるものにも拘わらず、石川県デザインセンター選定品となりました。その後、私が手がけるようになり、箸の形状やそれぞれの器の縁の厚みなど、幾度となく微細な改良を重ねています。お寺からの要望もありますし、私の考えもあります。
下の画像のように均等な間隔を作ることは、少し前までは固体差がありました。現在は、どれを組み合わせても均等になります。雑誌やテレビで禅宗が紹介されているとき、私が作った応量器か否か、すぐに判ります。自分で作ったものは判るものです。知人や取引先も、見つけてくれます。今日も、曹洞宗のお寺で、応量器で食事を摂っている修行僧がいます。私は、修行僧に思いを馳せ、さまざまな、言葉にすることが難しい気持ちを抱きます。
その後、一般にも販売をはじめました。応量器の販売を始めたのは、ある理由からです。父の代においては、応量器は漆器のギャラリーや全国の工芸品を展示している場所にしか出していませんでした。入れ子になった応量器は、山中漆器の特質が如実に顕われているからです。そして、私が帰郷してすぐの頃、とある方から連絡をいただきました。ショップをオープンする、南部鉄や曲げわっぱなど日本の工芸品を取り扱う、自分でたに屋の応量器を以前から毎朝使っている、取り扱いたい、ということでした。私は麻布の、できたばかりのショップを訪れました。
麻布のショップは、すてきでした。昔からあるものばかりなのに、洗練されていてモダンな印象を受けます。応量器についてもかなりの知識を持っていました。資料や図版もあります。応量器という名前の商品は数あれど、私が手がけるものが実際にお寺で使われているものだと判断したようです。私は仕事の話を始めました。漆器は日光と乾燥に弱いので、陳列するときに気をつけることを伝えました。応量器をさがしている人がそのショップを見ると、なんだか格好だけのお店に映るかもしれません。でも、ほんものです。それからは、そのショップ経由でさまざまな雑誌に取り上げられ、曹洞宗の僧以外の方も目にする機会が増えました。
■価格差の理由
うちの応量器は安価です。巷には6万円を超えるものまであります。なぜそのような価格差が出るのでしょうか。まず、入れ子になったお椀の場合、漆を塗る前(さらに下地を施す前)の木地は、ほとんどが山中で作られています。他の産地の職人や漆器屋は、それを仕入れて漆を塗って完成させ、販売しています。つまり、流通コストが乗ってしまっているわけですね。匙だけで1万円するものも見かけますが、同じ理由です。
似たような価格のものもありますが、下地と塗りが粗悪と言ったら言い過ぎですが長年の使用に耐えられるかどうか不安なものがあります。どれとは言いませんが、中国で旋盤を使って木地を挽き、溶剤を混ぜた下地と溶剤を混ぜた漆を吹き付けたものが3万円台後半で売られています。ネットで検索すると、そういったものばかりです。困ったことです。漆器が耐久性に劣るというイメージは、そうした「よく目にする漆器」が質を追求していないからです。反対に品質は低いけれど高価なものもあります。なぜ高価なのかというと、高いほうが良いと思っているところにつけ込んでいるのです。漆器は、高いから良いとは限りません。ご注意ください。漆器の世界は、いかにも職人という雰囲気を醸していても、外注して手を抜いて高く売ることを考えている「職人」がほとんどです。
漆器の価格とは非常に不思議なもので、慣れない人が作ると高価になります。というのも、職人は今でも日当計算しているからです。作ったことのない職人が作ると、クオリティが一定ではなく、なおかつ高価になります。慣れた職人は同じ動作を何十年と繰り返して手さばきが洗練されているため仕事が早いので、クオリティを高く維持し、なおかつ安価。私がつくる応量器は、修理のために戻ってきたことは一度もありません。10年間毎日使っても、剥げもしないし割れもしません。下地を施していない拭漆仕上げのものをふだん自分で使っています。まだ使い始めて4年と少し。新品同様です。
私が手がける応量器を購入できるところは
designshop(東京麻布)
CASSINA ixc.(東京青山・名古屋・大阪・福岡、黒のみ)
モノ・モノ(東京中野、黒のみ)
三越日本橋本店(洗朱のみ)
松屋銀座店7階デザインコレクション(洗朱のみ)
だけです。
なるべく実際に見て、手にしてください。どうしても来店できない方は、私にメールをください。送料は私が負担してお送りします。お気に召したなら、購入してください。お気に召さない場合は返送してください。着払いで構いません。
また、WEBショップでも通販で購入できます。
拭漆は、これらの他に取り扱っていただいているショップがあります。画像はこちらを参照ください。
応量器をお買い求めの際は
・ほんとうに曹洞宗のお寺で使われているか
・古来からの形と色を継承しているか
・素材は不安のないものか
・匙と箸と篦も扱っているか
といったことをご確認ください。
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コメント
DASO様
場所は、数字で表すと、緯度36度16分14.747秒(36.270763)、
経度 136度21分39.384秒(136.36094)です。
地元以外の方には
Googleマップで「たに屋」と入力していただいております。
http://maps.google.co.jp/
お手数とは存じますが、いちばん把握しやすい方法です。
場所というより道順は、クルマの場合、小松方面から
国道8号を小松市東山ICから約13km、西島交差点を左折、石川県道150号を1.9kmで2つ目の信号。その信号(山代温泉東口交差点)で石川県道11号小松山中線に当たるので右折。6つ目の信号(別所口交差点)を左折(11号も左折しています)、そのあと2つ目の信号を過ぎてから500m。小さな坂をのぼったら弊店でございます。山代温泉東口から3.3kmです。
自転車の場合は粟津温泉から11号を使うほうが安全です。
電車の場合は加賀温泉駅から山中温泉行きのバスに乗り「二天(にてん)」で降車。左斜め前の坂を下り、橋を渡り、信号を右折、そこから350mです。
ヘリの場合は、お客さまに場外離着陸場の許可申請をしていただいております。弊店の屋上にはヘリパッドがありません。
お出になる直前でもかまいませんので、お電話いただければと存じます。職人のところなどへ出回っておりますゆえ、不在の確率のほうが高いんです。
お気をつけてお越しくださいませ。
場所は、数字で表すと、緯度36度16分14.747秒(36.270763)、
経度 136度21分39.384秒(136.36094)です。
地元以外の方には
Googleマップで「たに屋」と入力していただいております。
http://maps.google.co.jp/
お手数とは存じますが、いちばん把握しやすい方法です。
場所というより道順は、クルマの場合、小松方面から
国道8号を小松市東山ICから約13km、西島交差点を左折、石川県道150号を1.9kmで2つ目の信号。その信号(山代温泉東口交差点)で石川県道11号小松山中線に当たるので右折。6つ目の信号(別所口交差点)を左折(11号も左折しています)、そのあと2つ目の信号を過ぎてから500m。小さな坂をのぼったら弊店でございます。山代温泉東口から3.3kmです。
自転車の場合は粟津温泉から11号を使うほうが安全です。
電車の場合は加賀温泉駅から山中温泉行きのバスに乗り「二天(にてん)」で降車。左斜め前の坂を下り、橋を渡り、信号を右折、そこから350mです。
ヘリの場合は、お客さまに場外離着陸場の許可申請をしていただいております。弊店の屋上にはヘリパッドがありません。
お出になる直前でもかまいませんので、お電話いただければと存じます。職人のところなどへ出回っておりますゆえ、不在の確率のほうが高いんです。
お気をつけてお越しくださいませ。
- 2008-07-02 |
- ■kota■
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not subject
加賀日和タカヤナギ様
こんにちは。お褒めいただきありがとうございます。
用の美という言葉には疑いを持っています。デザインされたものにつける、一種のカテゴリ分けするイメージ、バズワードのような気がします。ほんとうに「用」のためだけの形なら、機能一点張りの無骨なものも用の美と言われるはずです。また、自然美に近づこうとする美というか、人間が美しいと思う自然の中の形に近づこうとする美が、用の美と言われがちな気がします。アーティフィシャルな方向における美しさを追求した美は、機能美とかデコラティブとか実用的とかハイブロウとか言われるような気もします。用の美とは、自然を支配して改良することが「アート」であり「美学」である西洋にはない、日本的な概念ですね。必然の美という言葉、気に入りました。
私は自然の中に潜むフィボナッチ数などを眺めるとうっとりしたり驚嘆したりします。でも、それをそのまま自分が「作る」ものに投影しても無意味だとも思っています。美しいものを作ることが目的となると、理論が不在で作り手個々の嗜好に依ってしまいます。そのテイストに共感できる(美しいと感じる)人が購入するわけですね。「これかわいい」「これすてき」といった感じです。漆器や陶磁器が「工芸品」という芸術のように思われているためにこのような事態になっているのでしょう。でも、ほんとうに美しいものは宗教や時代や民族の境界を超えて普遍的に美しいと感じるものです。それを勘違いして、何の特徴もない凡庸なものが「ユニヴァーサル」だとされる風潮もあります。プロダクトデザインにおいては、理論と根拠と「そうしなければならない」目的が存在します。美しさとは、目的ではなく、結果として形に表れるものです。話が長くなるのでこのへんにしておきます。
楽器は見ただけで判りますね。優美だったり、なまめかしかったり、力強かったり、ぺらぺらだったり。カーブが少し異なるだけで大きく変わります。人間の顔と同じですね。カメラは手で持つ小さなものなので特にそうかもしれません。自転車やドアノブなどあらゆる「製品」が、スペックには表れないところまで考えられているか否かで使い心地が変わってきますね。
ブログの画像は、明記しているものを除き全て私が撮っています。画像解析すれば一目瞭然、200万画素の古いカメラです。おまけにブログ向けに軽くしています。光はすべて自然光、映り込みもひどいです。
i様
ありがとうございます。同世代の女性がかっこいいと感じるのも、とてもうれしいことです。
こんにちは。お褒めいただきありがとうございます。
用の美という言葉には疑いを持っています。デザインされたものにつける、一種のカテゴリ分けするイメージ、バズワードのような気がします。ほんとうに「用」のためだけの形なら、機能一点張りの無骨なものも用の美と言われるはずです。また、自然美に近づこうとする美というか、人間が美しいと思う自然の中の形に近づこうとする美が、用の美と言われがちな気がします。アーティフィシャルな方向における美しさを追求した美は、機能美とかデコラティブとか実用的とかハイブロウとか言われるような気もします。用の美とは、自然を支配して改良することが「アート」であり「美学」である西洋にはない、日本的な概念ですね。必然の美という言葉、気に入りました。
私は自然の中に潜むフィボナッチ数などを眺めるとうっとりしたり驚嘆したりします。でも、それをそのまま自分が「作る」ものに投影しても無意味だとも思っています。美しいものを作ることが目的となると、理論が不在で作り手個々の嗜好に依ってしまいます。そのテイストに共感できる(美しいと感じる)人が購入するわけですね。「これかわいい」「これすてき」といった感じです。漆器や陶磁器が「工芸品」という芸術のように思われているためにこのような事態になっているのでしょう。でも、ほんとうに美しいものは宗教や時代や民族の境界を超えて普遍的に美しいと感じるものです。それを勘違いして、何の特徴もない凡庸なものが「ユニヴァーサル」だとされる風潮もあります。プロダクトデザインにおいては、理論と根拠と「そうしなければならない」目的が存在します。美しさとは、目的ではなく、結果として形に表れるものです。話が長くなるのでこのへんにしておきます。
楽器は見ただけで判りますね。優美だったり、なまめかしかったり、力強かったり、ぺらぺらだったり。カーブが少し異なるだけで大きく変わります。人間の顔と同じですね。カメラは手で持つ小さなものなので特にそうかもしれません。自転車やドアノブなどあらゆる「製品」が、スペックには表れないところまで考えられているか否かで使い心地が変わってきますね。
ブログの画像は、明記しているものを除き全て私が撮っています。画像解析すれば一目瞭然、200万画素の古いカメラです。おまけにブログ向けに軽くしています。光はすべて自然光、映り込みもひどいです。
i様
ありがとうございます。同世代の女性がかっこいいと感じるのも、とてもうれしいことです。
- 2007-03-06 |
- ■kota■
- URL
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欲しくなります
実物を見ずとも、触れずとも、この写真だけでその佇まいの美しさに感激しました。必然の美というのか、これを用の美と表現していいのか、専門家ではない僕にはわかりませんが。
話はずれますが、形の美しいものは性能も優れていますよね。僕は10年以上トランペットを吹いていていくつもの楽器に触れてきましたが、やはりフォルムの美しい楽器は良い音が出るように思います。
今、仕事でカメラを使いますが、写真の写り具合という点だけで見ると機械的性能とカメラのデザインは直接は関係ないとも言えますが、カメラとしての美しさ、塗装の具合、グリップした時の感触を含め、美しいカメラはただそれだけで良い写真が撮れるぞという気分にさせてくれますし、実際に写真を撮る行為の中で、そういう気分はかなり重要だったりします。
ところで、ここに掲載されている写真は、ご自分で撮られたのですか?
光と影がとても綺麗ですね。
話はずれますが、形の美しいものは性能も優れていますよね。僕は10年以上トランペットを吹いていていくつもの楽器に触れてきましたが、やはりフォルムの美しい楽器は良い音が出るように思います。
今、仕事でカメラを使いますが、写真の写り具合という点だけで見ると機械的性能とカメラのデザインは直接は関係ないとも言えますが、カメラとしての美しさ、塗装の具合、グリップした時の感触を含め、美しいカメラはただそれだけで良い写真が撮れるぞという気分にさせてくれますし、実際に写真を撮る行為の中で、そういう気分はかなり重要だったりします。
ところで、ここに掲載されている写真は、ご自分で撮られたのですか?
光と影がとても綺麗ですね。
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マトリョーシカから、箱根入れ子人形、ロクロ、応量器と進んで、貴サイトにたどり着きました。
膨大な量なので拾い読みの域を超えないのですが、「作品は、力量ある作家ほど労力が少なくてすむので安くできる」「食器の塗装に有害顔料を使用しない」など、色々と参考になります。
特に顔料の毒性に配慮されていることについては、「朱は水銀」「水銀は有害」とバラバラには知っていても、「朱塗りは朱を使う」という先入観があって、三者が頭の中でつながっていなかったので、「目からうろこ〜」の思いです。
ところで、ブログを拝見する内に、おうかがいして品物等を直接拝見させていただきたくなりました。
ご迷惑でなければゴールデンウイークの中頃にお訪ねしたいのですが、ご都合はいかがでしょうか。
突然、不躾なお願いをコメント欄に書き込みますが、メールでご都合をお知らせ頂ければ幸いです。
劈頭に書きました「マトリョーシカ」〜「応量器」までの経緯は私のブログで紹介しております。
アドレスを貼り付けておきますので、よろしければ御覧ください。
http://drab.at.webry.info/200901/article_1.html
突然勝手なお願いをしお煩わせしますが、何卒よろしくお願いします。