カズオ・イシグロ わたしを離さないで



胎児は、母親のお腹の中で、ずっと音を聴き続けている。
電車に乗っていると眠くなる原因である、あの音。
すべてを凌駕し、抗うことのできない音。
遠くから聞こえる、弱くて、強い音。
この小説は、とてもとても静かだからこそ、あの音が聞こえる。

カセットテープは、アナログだからノイズも拾う。
だからこそ、生々しい。
どのような小説なのかは、あさこさんワルツさんpicoさんMlle.Cさんのページに詳しい。彼女たちとブログで知り合ったのは2年ほど前。みな、すばらしい読み手です。でもこればっかりは、前もって何の情報も入れずに読むことがいい。あらゆるジャンルの商品が、最近では「ストーリー」がないと売りにくいとされている。でも、緻密に構築された物語は、ストーリーを事前に入手する必要などない。あっというまに引き込まれ、読んでいるときは小説の世界へ飛翔し、読了後もそこから抜け出せない。すばらしい小説を読んだときのみ訪れる感情、心の揺れ、圧倒されて思考も身動きもできないあの感覚が、滅多にないくらいの大きさで包み込む。読むことの快楽を堪能できる、畏ろしいくらいの傑作。ハッピーエンドでないと気分を害してしまう人は、読まないほうがいい。




原題「Never let me go」はジャズのスタンダードからとられています。で、作中にはジュディ・ブリッジウォーターという歌手が登場します。ジュディ・ブリッジウォーターは殆ど名前が知られておらず、よりにもよって架空の人物扱いされています。上の画像のアルバム『夜に聞く歌』は珠玉のスタンダード集で、まさに夜にひとりでグラスを傾けるのにぴったり、というのはやっぱり嘘で、架空の人物です。ではカズオ・イシグロが村上春樹からもらったCDには誰のヴォーカルが入っていたのかという下世話な関心がもたげてきます。オムニバスだったらマイルズに愛された定番のあの女性なのでしょうが、ここは大穴狙いでこの人(←試聴できますが、要QuickTime)ではないかと無根拠に断言しておきます。

歌手デビューしたい人は、ジュディ・ブリッジウォーターという芸名で「Never let me go」を収録した弾き語りアルバム『夜に聞く歌』を出しちゃえばいいと思います。今しかありません。上の画像は私がやっつけ仕事で作ったジャケットですが、どうぞお使いください。amazonで取り扱いできれば、間違って購入する人が続出して勝手に海外進出しちゃってリアル・ミリ・バニリよりも売れるはずですし、一昨日復活した一澤帆布が相変わらずの人気である様子を耳にすると、実質など問わない人がほとんどであると思わざるを得ません。しかし話は逸れますが、一澤信三郎帆布が声を大にすればするほど少々引いてしまうこともまた仕方のないことで、いくら事実とはいえ、私は私の何でもつまびらかにしてしまう物言いを見つめ直したりもしてしまいます。

参照;
文學界インタビュー。


蛇足;
文芸ついでに。
年頭に刊行予告されていた、国書刊行会の「短篇小説の悦楽」と題したシリーズ。ようやく邦題も決まったようで一安心。得意のボルヘスから「自伝的エッセー」の一節を引用して贅沢な銀色を使ったリーフレットからは短編小説を読むことの愉悦を滴り落としているが、先に国書から刊行される澁澤龍彦蔵書目録のリーフレットのほうが紙質も色数も力が入っていたりするので油断できない。
ウィリアム・トレヴァー『聖母の贈り物』※第1回配本、12月刊 予価2,400円
キャロル・エムシュウィラー『すべての終わりの始まり』
レーモン・クノー『あなたまかせのお話』
アドルフォ・ビオイ=カサーレス『パウリーナの思い出に』
イタロ・カルヴィーノ『最後に烏がやってくる』
クノーは「ディノ」や「トロイの木馬」など、カルヴィーノは「パウラティム夫人」や「海に機雷を沈めたのはだれ?」などを収録。トレヴァーが短編の名手であることは知られているし、ビオイ=カサーレスはボルヘス好きならご存知の名前だし、目玉はエムシュウィラーになりそう。ものすごく楽しみ。でも5年くらいは覚悟しなければならないのが国書刊行会。
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コメント

美結様
いえいえ、いつの記事でもコメントはうれしいものですよ。いわゆるコメント乞食ではないので絡みづらい記事ばかりですし、以前はコメントをいただいても気づかないようになっていました。でも今はすぐに判るようにしています。

記事に書いた通り、私も、よく顔を出すブログのいくつかで絶賛されていたので期待して読みました。そうでなくてもこの人の小説は出たら読むつもりだったのですが……。読んでみて良かったとほんとうに思える小説ですね。言葉にできない気持ちにさせることは芸術がもたらすもののひとつですが、それを言葉で生み出すというのが小説のすごいところだなあと改めて感じました。

古い記事へのコメントお許しください。
この本は揺れますね。
色んな方のブログで絶賛されていたので、
あらすじなどの情報をいれず、読みました。
今年、読んだ本では印象深い本でした。
昨晩、TBしました。

not subject

Mlle.Cさん、ひっかかっていただき誠にありがとうございます。
また何かありましたら何卒宜しくお願いいたします。
本屋大賞、そういえばそうでした。安心しました。
「TIME」のオールタイムベスト100に選ばれただけでじゅうぶんです。
そこに、何か日本の本屋大賞的なものまで加わると、
一気にちんけというか俗物扱いになってしまいます。
幅広く読まれることと世俗的なことは、同じではないですから。


※ジュディは「Juddy」ではなく「Judy」のようです。期せずして合っていました。

TBありがとうございました

こんばんは。

ジュディ・ブリッジウォーター、私も信じてしまいました・・・。kotaさんお人が悪いですよ~。
いろいろなボーカルによるNever Let me go聴いてみましたが、どれもちょっと違う感じ。
やはり、架空の歌手による架空の歌のままにしておいたほうがよいのでしょうね。
バーキンがなんで浮かんできたのかは自分でもわかりません。

ところで横レスになってしまいますが、本屋大賞はたしか日本語文学が対象のはずなので、イシグロが餌食にされる心配はなさそうです。ほっ

not subject

>ワルツさん
こんばんは。あさこさんが最初に読んで、その感想を読んでみなさんが読んで、それらの感想を私が読んで。本でも音楽でも飲食店でも、信頼できる人が良いというなら良いです。でもまあカズオ・イシグロはぜんぶ読みたい書き手です。ワルツさんもバーキンなんですね。私は記事の通りメロディにならない音だったのですが、音楽にするならStina Nordenstam(スティーナ・ノルデンスタム←スウェーデン)の「And She Closed Her Eyes」かClaudine Longet(クロディーヌ・ロンジェ←フランス)の「Sugar Me」っぽいです。ホープ・サンドヴァルも近いかな……イギリスだとスパイロジャイラかメロウキャンドル……少し優雅で、無垢と狂気を宿したエキセントリシティという感じです。というか、これだけ出てくるってことは、ぴったりのものが思いつかないってことですね。

>picoさん
写真は、Googleで「フリー素材 画像」で検索して先頭に表示された http://eyes-art.com/pic/ から拾ってきました。海で夕暮れというのが全然合ってないのですが、ぴったりの画像を探すのが面倒で、これぞやっつけ仕事です。ジュディは「Juddy」なのですが「Judy」にして「レッドノート」にして、ちょっと変だなという感じにしました。だまされていただくご厚意に感謝します。ビョークは合いますね。みなさんのご意見を見るに、音数が少ない曲が合う気がしました。意外と弦楽器は合わないようですね。構造的に和音やハーモニーも合いそうなのになんかしっくりきません。こんな分析しても何の役にも立たないのですが。

>PONさん
お越しいただきありがとうございます。ライブドアブログはコメントの文字数に制限があるのでいろいろ書ききれなかったことがあるのでここに書きます。CDが登場したとき「磨耗しない半永久的メディア」と大々的に謳われましたが、それは単なるメーカーの売り文句、20年くらい経つと聴けなくなるものが出てきます。記録層が剥離してくるのです。日本は多湿なので欧米より早いと思います。私が1980年代に購入したCDにもいくつか剥離が始まっているものがあります。光にかざすと穴が開いたように光がもれるものもあります。長もちするソフトは、実はアナログなんです。一度聴いたら1日休ませる、それでビニールは戻ります。
空気感と書きましたが、倍音についても間違いなくアナログのほうがきちんと残されています。おしなべてデジタルはリマスターすればするほどおかしくなっていると思います。アナログでも、高音質と喧伝されている8000円ほどのアナログプロダクション製のものは、びっくりするくらい変でした。オリジナル盤や、ワルツフォーデビイに関していえばオランダ盤が音が良いとされていますが、日本では数万円します。アメリカなら数千円です。でもそうなると機材もそれなりにという泥沼になるので、OJC盤でじゅうぶんです。各楽器のバランスが良いですし、シンバルやブラシ、ベースの音色がたまりません。ピアノの音は最も難しいので、まあこれでいいです。ワルツフォーデビイの場合は地下鉄の音や氷の音なども入っているので、ソフトとハード両方の良し悪しが分りやすいです。
などと書いている私ですが、プレーヤーはテクニクス、カートリッジはオルトフォンにSHUREと、普及価格帯のものです。で、CDプレーヤーのほうが高価なのですが、それでもアナログのほうが良いです。カートリッジで音が大きく変わるので、プレーヤー選びはさほど気にしなくていいかなと思います。
音は、ダイナミックレンジやSN比など、スペックで優劣が決まるわけではありません。

>京都にいる工芸好きさん
まさに恐くて面白いですね。カズオ・イシグロを読むときは京都にいる工芸好きさんのことを思い出しますよ。私は12刷で、帯の推薦文が柴田元幸ではなく角田光代に変わっていました。表紙の著者名より帯の角田光代のほうが文字が大きいです。この作品で日本の読者が一気に広がった印象があります。ハヤカワepi文庫から長編2作目も復刊されますし。でも、売ろうとする匂いをかぎとってしまうような打ち出し方をすると、よくある泣かそう系と同じものに思われてしまうような気がして、それはいやですね。本屋大賞とかになっちゃったら目もあてられません。まあつまり、引っ込んでろ角田光代、という感じです。
松田権六、タイミングが合わないですか。私はMIHOの青山二郎に早く行かないとと思い続けています。

not subject

まさかカズオ・イシグロとは、、驚きました。
身内ネタですが、以前、叔母から「今度の新作は恐くて面白いのよ」みたいなことを
電話で聞いていたのに、本屋で初版を手に入れて安心してました(笑)。
もう話題には追いつけそうにないですけど、、読みます。

松田権六、10/29までですね。
金沢で見たいとこですが、ちょっと間に合いそうにないので、東京で見ることとします。
文庫で著作を読んでことがありますが、表紙にもなっていた「蓬莱の棚」をぜひ見たいもんです。

こんにちは

takaさん、こんにちは。PONです。
先日は私のブログにコメントをくださり、ありがとうございました。
おかげさまで、アナログへの熱が日に日に高まっています^^

takaさんって山中漆器を作られていらっしゃるんですね。
とっても素敵な食器ですね。
しかも歳は私の3つほど上のようで。同世代^^
これからもよろしくお願いします^^

ここ数年、本という本はほとんど読んでいません。
昔は本を読む事が好きだったんですが・・・。
でもtakaさんのブログを見て、久々に本を読んでみたくなってきました。
近くに図書館もあるので、ちょっと寄ってみようかな。

では^^

not subject

写真、いいですね。

そして、アルバムジャケットをみて、
やはり、本当にあったのね。と信じてしまいました(笑)
この際、中味は、ワルツさんに作ってもらいましょう。
そうしましょう。

私はジャズに詳しくないので、ビョークやジャニスがアカペラで唄ってる感じを想像していました。
ジェーン・モンハイトよりも、かすれたイメージ。
でも、これもいい。
マイ・フーリッシュ・ハート、思わずぽちっとしてきちゃいました。

こんばんは。

kotaさん、こんばんは。
私も、この本は、あさこさんの紹介で読むことが出来て、すごく感謝しているのです。
kotaさんが感想に書かれている>「読むことの快楽を堪能できる、畏ろしいくらいの傑作。 」というお言葉。
おぉ、今、またにこの小説のすごさを認識しました。

>やっつけ仕事。(ふふ、その言葉に大うけですー笑)
この帽子とシルエットがダニー・ハザウェイのようですよ。(*^。^*)
>大穴ねらい…のジェーン・モンハイト
私もDeliusさんから彼女を教えてもらいました。静かでメロウな歌声が美しいですね。

私個人のイメージは、Mlle.Cさんもおっしゃってるジェーン・バーキンかな。曲にエキセントリックさを感じるのと 12歳の主人公が、「枕を赤ちゃんに見たて、抱いてあやすようにこの曲を聴いてダンスをしている」という事から。
曲は、彼女の『無造作紳士』です。(笑)
舞台はイギリスだし、フランス語は違うんだけど。(*^。^*)
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